★★ 2 4 時 間 の 画 廊 ★★
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ヒストグラム 1200 x 833 (397 kB) 市の中心部が始発のバスの終点でもあるこの集落も、紀州藩所属の頃は、ここが藤堂藩への出口だったとか。「室の口(むろのくち)」と言う出口の名前を今に留めて、絵になる場所の多い場所です。約4号ケント紙 鉛筆
ヒストグラム 1200 x 833 (397 kB)
市の中心部が始発のバスの終点でもあるこの集落も、紀州藩所属の頃は、ここが藤堂藩への出口だったとか。「室の口(むろのくち)」と言う出口の名前を今に留めて、絵になる場所の多い場所です。約4号ケント紙 鉛筆
ヒストグラム 1200 x 815 (487 kB) この集落はダムで行き止まりです。吉川英治の小説、宮本武蔵の初版本第三巻風の巻き、かざぐるまの項に出てくる、鎖鎌の宍戸梅軒の鍛冶屋があった場所だといわれています。津市芸濃町梅ヶ畑にて4号ケント紙 鉛筆
ヒストグラム 1200 x 815 (487 kB)
この集落はダムで行き止まりです。吉川英治の小説、宮本武蔵の初版本第三巻風の巻き、かざぐるまの項に出てくる、鎖鎌の宍戸梅軒の鍛冶屋があった場所だといわれています。津市芸濃町梅ヶ畑にて4号ケント紙 鉛筆
ヒストグラム 1100 x 740 (395 kB) 街道筋の学習グループの方々が発行する小冊子の表紙の為に描きました。下描きのスケッチですが、場所の指定があるものは少し緊張してしまいます。4号スケッチブック 鉛筆
ヒストグラム 1100 x 740 (395 kB)
街道筋の学習グループの方々が発行する小冊子の表紙の為に描きました。下描きのスケッチですが、場所の指定があるものは少し緊張してしまいます。4号スケッチブック 鉛筆
ヒストグラム 1200 x 827 (415 kB)
すこし描き込んだものを仕上げとしました。奈良県御杖村から三重県側の伊勢奥津へはいり、さらに山越えして、ここ上多気へ出ます。とても雰囲気のある綺麗な街道筋が残されている貴重な場所でもあります。4号ケント紙 鉛筆
ヒストグラム 1200 x 853 (452 kB) 藤堂高虎の支配下にあった津と上野を結ぶ重要な街道が伊賀街道です。伊賀の厳しい山道を越えた伊勢側の最初の宿場、長野の宿は道の曲がり方などに、ほんのりと昔の面影を残しています。6号弱ケント紙 鉛筆
ヒストグラム 1200 x 853 (452 kB)
藤堂高虎の支配下にあった津と上野を結ぶ重要な街道が伊賀街道です。伊賀の厳しい山道を越えた伊勢側の最初の宿場、長野の宿は道の曲がり方などに、ほんのりと昔の面影を残しています。6号弱ケント紙 鉛筆
ヒストグラム 1200 x 780 (426 kB) いたるところに伊勢への道があるこの地方では、旧街道筋のところどころにその雰囲気が残っているような場所があります。津市椋本もそういった街道筋の一つで、関から楠原を経て江戸橋(旧津市内)への道は「伊勢別街道」と呼ばれていたのだそうです。6号ケント紙 鉛筆
ヒストグラム 1200 x 780 (426 kB)
いたるところに伊勢への道があるこの地方では、旧街道筋のところどころにその雰囲気が残っているような場所があります。津市椋本もそういった街道筋の一つで、関から楠原を経て江戸橋(旧津市内)への道は「伊勢別街道」と呼ばれていたのだそうです。6号ケント紙 鉛筆
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