[No.252] 統計と確率
危険を判断する目安として、その危険に遭遇する確率を統計的に計算する方法があります。ガンになる確率とか、そのガンでの死亡率とかのことです。学者が論文を書くためにとか、公共機関がそれを元に予算をつけたりする場合には役に立ちますが、個人の問題となると全く役に立ちません。例えば、あなたの奥さんのガンは、5年以内の死亡率が50%です、とか言われても2人の奥さんがいてそのうちの1人が死ぬということにはなりません。50%のうちに入った人にとっては100%の確率で奥さんは亡くなるわけです。自分の女房が100人いるわけではないのです。こういう数字のごまかしで理論を弁じても人間の恐怖心は消えません。斗ヶ沢秀俊さんという方が、あまり原発の負の面ばかりを強調して恐れるのも問題だという趣旨のことを言っておられます。これにも一理はあります。また、例として「BSE問題でいまだに国内で牛の全頭検査が行われていますが、異常プリオンを含む肉を食べて変異型クロイツフェルト・ヤコブ病に罹患する可能性は、日本人の中で年間1人以下の確率です。実質0%ですよ。そんな確率のために、全頭検査に毎年数億円かけている。そんな無駄なことをさせない、リスクと冷静に向き合えるような社会を築くことが私の取り組みたいことなんです。」このたった1人に自分が該当すればその人にとっては100%の確率です。100人同じ自分がいて、そのうちの1人が当たると勘違いしているような言いぶりのような気がします。確率論の学者的発想だと思います。放射能の人体への影響も%が低いから自分はならないと勘違いし易い言い回しのようにも感じます。100人に1人しか重大な被爆はしないから私は大丈夫、などということはありません。自分という人間はたった一人しかいないのです。どんなに少ない%であれ、そこから身を守ろうとするのは間違いではないし、危険率が少ないから「安全・安心」ではないのです。どうすれば自分の健康を守れるかは統計とは別問題なので、%を言うより「こうすれば助かる」という方法を調べたり知っておいたりしたほうが有効ではないでしょうか。
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